【超穴場】石垣島の観光スポット、電信屋を知ってる?ビーチも綺麗だよ!

電信屋

こんにちは。最近、島野菜サラダにハマっている、ゆんたです。

レタス・ハンダマ・青パパイヤ・ゴーヤ・トメェトのサラダ。(何でトマトだけ外人)

夏も近いし野菜がうまい。

 

さて、GWは終わっちゃったけど、夏に石垣島への旅行を計画してる人や、また石垣島に現実逃避しに行きたいな〜って思っている人も多いと思います。

ほんま夏の石垣島は最高ですよ。

今回の記事は、有名な観光スポットは行っちゃった!次どないしよ!って人向けです。

目次

砂利道には気を付けて

電信屋へは車で行くことになります。

電信屋の看板

この奥の細道を進むんやけど、途中からめっちゃデッコボコになるから気を付けて下さい。

ほいで、この道めっちゃ細いねん。ファミリーカーでも通れるけど、レンタカーを草木で傷つけたくない人は、手前に停めて歩いたほうがいいかもしれません。(軽でもちょっとカサカサカサコソコソコソコソカサカサ!って当たる)

 

石垣島にはいたる所に牛さんがいます。右を見ると…

電信屋の牛

ちょっと見えへんけど、丘の上でモーモー言ってます。

電信屋の歴史

ちょいとカタイお話を。

電信屋の説明

歴史で習った日清戦争が終結したのは1895年の4月。

下関条約で台湾を領有することになったのですが、中国の人たちは納得せず独立宣言をしたり、反日運動も続いたりと、安定的な統治がなかなかできなかったそうです。

情報通信を非常に重要視していた日本は、台湾との間に海底電信線を設置する事にしました。その中継地として1897年、石垣島に建設された電信設備が電信屋(元海底電線陸揚室)です。

戦争の傷跡残る電信屋

太平洋戦争時、連合軍の標的となり今でもいたる所に無数の銃弾の跡が残っています。

電信屋の記念碑

「1895年(明治28)の日清戦争終結後、日本はその領有となった台湾との間に通信回線を敷設することにし、1896年(明治29)先ず鹿児島~沖縄本島との間に、次いで翌1897年(明治30)沖縄本島~石垣島~台湾間・石垣島~西表島間に海底電信線を敷設した。 これにより、本土~沖縄本島~石垣島~台湾間の通信回線網が完成した。

戦争の歴史を感じられる所は少ないから、こういう史跡は貴重ですよね。

 

電信屋の弾痕

壁が崩れやすいから、あまり近づかないようにとロープも張られています。触ったりしないでね。

電信屋前のビーチは穴場だよ!

脇道があるので、波の音がする方へ行ってみましょう。

電信屋のビーチへの道

ん…!?ちょっとマニアックなビーチやのに、先客が…!

 

電信屋の跡地

先客、イス持参で本を読んでいました。いやー、バカンス!こんな綺麗なビーチで、めっちゃ気持ちいいですよね!

日焼けには気を付けてよー。

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電信屋のビーチ

湾の内側なので、比較的穏やかな海です。シャワー・トイレはないけど、誰もいないビーチでまったりシュノーケルもできるよ。

電信屋からの帰り道が絶景

帰りは西廻りから帰ってみて下さい。(電信屋から道路に出たら右)

動画をYouTubeにアップしました。風の音しか聞こえへんけど、堪忍して。

もう、ほんまに綺麗。ついついゆっくり走っちゃいます。石垣島って花の匂いが島全体にするんです。やから、ぜひ窓を全開で走ってみて下さい。

 

夏に向け、観光の記事も増やしていこかなって思ってます。お楽しみに!

 

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電信屋

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ゆんたろー

僕が石垣島で運営するダイビングスクールです。

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